top of page
検索
  • 執筆者の写真大谷憲史

平成31年 宮崎神宮 神事流鏑馬





2019年4月3日。宮崎神宮(宮崎市)におきまして、毎年恒例の「神事流鏑馬」が行われました。約230メートルの馬場に、3つの的が置かれています。およそ1200人が訪れ、的が射抜かれると大きな歓声が起きました。


神事流鏑馬は鎌倉武士の装束に身を固めた騎馬武者たちが、馬を疾駆して大弓で的を射る古神事です。新緑の神苑にくり広げられる勇壮華麗な春のこの神事は、さながら一幅の絵を見るように、なつかしい国振りの歴史を再現しくれます。

 

 古く、日向の国は


 真蘇我よ、蘇我の子等は 馬ならば日向の駒よ


 太刀ならば呉の真刀 諾哉 蘇我の子等を


 大君の使はすらしき(日本書紀)


 と推古天皇の御代の豊明に謳われ、良駿の産地でありました。流鏑馬の発祥は詳らかではありませんが、神武天皇さま御東遷前の故地で、古来敬神尚武の気風篤く、古武道精神の精髄ともいうべき流鏑馬が盛大に催されたことは当然でありました。


 神武さまの流鏑馬は、昭和15年紀元2600年を慶祝して復興されましたが、中世の頃には、秋のみのりの豊穣に湧き立つ農民たちが、大勢集って「ヤクサミ」という競べ馬を催す神事に変化しておりました。天保年間に高木正朝という紀伊の国人が著した「日本古義」に


 日向國宮崎神武天皇御祭禮の流鏑馬を見物せり。


 凡馬数千七八百騎に餘れり。二十騎或三十騎ばかり、


 馬の鼻を隻べて相図を聞くと等しく一度に駆出す。


 其の 疾き事矢の飛ぶが如く、雄々しき事又比ばむものなし。


是吾が神武國のいさをしなるべし。


とあって、すでに草競馬に変化していたことがうかがわれますが、花の武道精神と土の匂いのする農耕の御祭とがめでたく結びついた、我が国ぶりの神事であるといわなければなりません。


  

閲覧数:0回0件のコメント
bottom of page